【レッドゾーン】第一次世界大戦の影響で汚染された、知られざる立ち入り禁止地域

warotter(ワロッター)

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フランスとその風光明媚な田舎の風景を思い浮かべるとき、絵のような村や広大なブドウ畑、夏にうねった道をご機嫌なドライブのできる、どこまでも続く緑の丘などを想像するかもしれない。しかし、こんな美しい風景の片隅に、1世紀近くも人の立ち入りが禁止された、ゾーンルージュ(レッドゾーン)がある。

現在でも、パリとほぼ同じ広さの100平方キロ近くが、一般の立ち入りや農地利用を法律で厳しく制限されている。その理由は、いまだに世界大戦の戦場跡に残る、おびただしい数の遺骸や不発弾が回収しきれていないからだ。

第一次大戦後、途方もない数の不発弾や人間や動物の遺骸の回収が追いつかず、フランス政府は該当地区の住民の強制的な移転を決め、立ち入り禁止区域にした。地図上からまるごと抹消された村は、戦争の犠牲者だと考えられた。

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“破壊された村、デュオモン”
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かつては美しい農地だったが、打ち捨てられ人も住まなくなった。まもなく、ここに村があったとはわからないほど、深い森に覆われてしまった。

“ここには教会があった”
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しかし、ここ数十年の間、ひと目を忍んできたこの緑の森に、森の番人やハンターたちが入り込むようになった。2004年、ドイツの研究者がこの森の土壌に17%にもなる極端に危険なレベルの砒素が含まれていることを発見した。これはこれまでのレッドゾーンで見つかった平均的なレベルの何万倍もの量だという。

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この森の水にも砒素が含まれていた。これは生物の許容量の300倍にもなり、付近で仕留められたイノシシの肝臓からは異常な量の鉛が見つかったという。

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近隣の住人、森の管理者、ハンターなどが写真のような廃屋小屋を利用して、昼食をとったり、仕留めた獲物を保管したりしていたが、こうしたことまでは医学的調査の対象になっていなかった。ついに政府は2012年にこの地域への立ち入りを禁止し、地元では “Place-a-Gaz” として知られるようになった。

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フランス政府は特殊機関を設立して、残留弾薬の完全な除去を進めている。長い時間をかけて、レッドゾーン区域を減らし、安全な土地を住民に戻して、農業利用を可能にしようとしてきた。残念ながら、区域によってはこの試みは時期尚早すぎたようだ。

下図の赤い個所はレッドゾーン。黄色やグリーンやブルーは比較的危険が少ないエリアを示している。

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1970年代半ばまで、こうした除去作業のほとんどは表面的にしか行われていなかった。不発弾の中身が漏れ出して土壌や水を汚染するなどということは考えずに、第一次大戦で使われた何万という化学爆弾をただ破壊していたのだ。

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榴散弾によって飛び散った爆弾の鉛の破片がかなりの量そのまま残っていて、微生物が分解できない鉛、水銀、亜鉛が土壌を汚染している。これらは少なくとも1万年は土壌に留まるという。

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第一次大戦後、こうした戦場跡が大急ぎで農地や畜産場に変えられた。1929年には、300日間も戦いが続き、30万人以上のフランス人やドイツ人が犠牲になった激戦地ヴェルダンの戦場近くに最初の養豚場ができた。25ヘクタールのこの養豚場の土は、化学処理されたあと砲弾の穴だらけだったという。

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フランス語のVerdunisationは、塩素で水を浄化処理することで、1911年にパリで始まった方法だが、実際はこの地域の名前からとられた。

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黄色やブルーゾーンの比較的危険の少ない地域に再び住み始めた農民たちですら、いまだに毎年、100年も前の戦争の不発弾のせいでトラクターを破壊されたり、あやうく死にかけたりしている。ヴェルダンでは、自分の土地で不発弾を掘り当てた場合には手を触れずに政府に回収させるよう、農民に呼びかける標識がある。

これは鉄の収穫と呼ばれている。毎年、ベルギーやフランスの農民が自分の土地で900トン近くの不発弾を掘り出すからだ。

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このような区域から収穫された作物は、フランスやヨーロッパ政府によって継続的に監視されるべきだが、実際に十分に検査されているのか、まったくされていないのか疑問が残る。

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フランスの戦場跡の余波

1世紀以上たってもなお、立ち入ることのできない広大なレッドゾーンが残っていて、そこでは植物や動物はほとんど生きることができない。

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レッドゾーンをきれいにする作業は極めて危険な仕事だ。ガス弾から漏れる毒素で致命的な損害をこうむることは、弾薬の除去にあたる人たちの間では珍しいことではない。

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もし現在のようなペースでこのまま除去作業を続けると、完了するのに軽く300年から700年はかかると政府は見積もっている。

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また別の専門家は、レッドゾーンから完全には不発弾を除去することは不可能だと思っている。

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一方で、フランス北東部のレッドゾーンのはずれにある村や町では、こうした逆境を利用する動きがある。再利用することも、足を踏み入れることもできないこうした隔離された土地の穴埋めに、地元の人たちはこの地域の戦争の歴史をうまく生かしている。

第一次大戦で完全に破壊された町のひとつ、ポジエールはその後再建され、犠牲者たちに捧げたレ・トミーと呼ばれるカフェやレストランがある。裏庭に観光客向けに第一次大戦の塹壕が再建されている。

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“フランスのために滅んだ”ゴースト村、ヴェルダン北部は再建されなかったが、散策トレイルや記念館がレッドゾーン周辺で一般に公開されている。

地元の人たちは、この地域で何年にも渡って集めた戦争の遺物を、地元の観光客向け博物館に貸し出している。

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2006年にフランス砲弾回収協会が破産したため、20ヘクタールの汚染された土地はそのまま手つかずになっている。この汚染の影響はどうなのか、いつどうやって回収が再開されるのか、誰も知らない。

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レッドゾーンはいまだに完全立ち入り禁止になっていて、周辺に危険は知らされていない。2012年、ロケットや弾薬の製造に使われた土地の浸出液のレベルが異常に高いため、この区域の544の市で飲み水の消費が禁止された。それぞれの市は、第一次、第二次大戦のおもな戦場の旧前線の位置に当てはまるため、禁止区域の対象になった。

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戦争の残留爆発物の後遺症

要するにレッドゾーンは、時間とともに凍結された戦場の縮図なのだ。ほとんど知られていないのに、あまりにリアルなフランスの立ち入り禁止区域。ここには真実がある。

フランス人写真家オリヴァー・サン・ティレールは、この禁じられたフランスの無人地帯のあらゆる側面をとらえている。レッドゾーンを深くえぐったこれらの記録写真から大いに魅力を発見して欲しい。彼のサイトではさらにほかの写真も見られる。


Life in the Zone Rouge・原文翻訳:konohazuku
引用元:karapaia
 

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